連続講座復活のおしらせ

春休みのあいだごぶさたしていましたが、
昨年度好評だった『「就活」へのプレッシャーに負けないための連続講座』が
4月20日(水)に復活します。


その日は本来であれば大学との団体交渉の日だったのですが、
3月30日に一度した約束を反故にするかたちで理事会が交渉を拒否してきたので(くわしい報告は後日)、
その日を講座の日にしました。


以下詳細です。


「就活」へのプレッシャーに負けないための連続講座?
自由と現実、金と就活と婚活と……


講師 伊田広行さん(ユニオンぼちぼち執行委員、大学非常勤講師)

日時 4月20日(水)午後6時30分開始 
場所 京都精華大学黎明館L103教室
入場無料 


大雪の日が続いたと思ったら、
いつの間にか鴨川沿いの桜がやわらかい昼間。
春はやっぱり別れの季節で、
精華でも多くの嘱託教職員が雇用上限をむかえて雇い止めになり(これを書いているわたしもくびに)、
世の中を見回してみれば最悪の原発事故も進行している。
そんな状況でも(だからこそ?)どうじぶんを大切にしながら生きていくのかをしっかり考えたい――そんなあなたの思いにささやかながらも答えるかもしれないSocoSocoの連続講座が、
春休みをこえて復活しました。
今回は、ジェ ンダー平等という視点で、家族、
デートDV、ワーク・ライフ・バランス、労働、自殺問題と
幅広く取り組んでいる伊田広行さんが来てくれます。
大学での非常勤講師(立命館大学神戸大学など)のほかにも、
「ユニオンぼちぼち」執行委員、自殺防止センター相談員、
辻元清美とともに!市民ネットワーク(つじともネット)代表、
「非正規・ワーキングプア問題研究委員会」研究員と、
ほんとうにエネルギッシュに活動をしている伊田さんが
わかりやすい言葉で話題提供を。
大学でなにをしようかとうずうずしている新入生のひとにも、
就活をどうしようか迷っている3,4回生のひとにも、
いずれくる雇い止めに不安を抱える非正規労働者のひとにも、
いまを、そしてこれからをどう生きるかを言葉をかわすなかで
しっかりと考える時間になればいい。
お気軽にお立ち寄りください。

再開第4回と第5回の団交でなにが問題だったか

団交のなかでどうしても譲れなかった問題について。

再開第4回:確認書類に署名をしないこと


再開第4回では、3年で嘱託教職員を雇い止めにするメリット・デメリットについて、前回の読みあげの記録を書き起こしたレジュメを用意して話しあいをはじめた。



開始早々に理事会側の3名にレジュメを渡して確認をもとめる。

理事「これでいい」と即答。(読んだのか?)

組合「では署名を」(3回もかけて話した合意事項ですから)

理事「なぜしなきゃいけないんだ、合意してるからもういいでしょう」
組合「なぜできないんですか、合意してるならできるでしょう」


↓(議論中。。。*1)


組合「録音しているから口頭にする。読みあげるからそのあとで『確認した、まちがいない』と言ってください」

↓(読みあげ)

理事「やっぱりいくつか表現が異なっているように思う」
組合「!!!」*2


…*1について


あらためて言うまでもないが
署名というのは合意したことを認める基本的な行為で
「署名できない」とは「合意しがたい」ということ。


専務理事は「なぜしなければいけないのか」を執拗に聞いてきて
署名をしたらなにかに「利用」されるのではと恐れているようだった。


こちらとしてはこの合意文書を前提にして
これからも雇い止めの問題について話しあうつもりだった。


でもこの文書に合意(署名)が得られなければこれからも
メリットがどうだとかそのつど確認をしなくてはいけないし
さらにそのたびに「いやそうじゃなくてうんぬん〜」という
専務理事の二転三転するつじつまあわせにつきあわないといけない。
はっきり言って時間の無駄だし非合理的だ。


それにしても、
専務理事はつねに
「3年でそれ以上更新はしないという契約書にサインをしているんだからそれは合意だろう」
と強引に言う。

私たちはどれほどその文言がいやだったとしても
生活のことを考えて譲歩してサインをしてしまう。そうしてきた。


専務理事が「どうして合意しなければいけないのか」と問えるのは
それに合意(ほんとうは譲歩)しなければ、生活や将来が完全に闇に閉ざされる、という脅しがないからだ。


いま、働くひとの「契約」は
「いやならサインしなければ…って、そしたら生活はどうなるのか」
という自分自身の恐怖や周囲の無言の圧力を前提に、
雇うほうの都合のよいようにどんどん労働条件を切りさげられている。

…*2について


専務理事はレジュメをくばっただけのときはたいして内容も見なかったのに
署名となった途端にあせって「合意してるから署名はいらないはずだ」という理由で署名を拒否して
さらにこっちがレジュメを読みあげて合意とみなす、とした段階でようやく
「異議がある」と言い出した。そんな卑劣な対応が団交で見られるとは思わんかった。


働くがわと雇うがわの、署名に対するこの態度のちがいは
「雇用する権利」を「権限」や「権力」にまで都合よく拡大解釈して
雇うがわが勝手に自分にあると勘違いしている権力にあまえているからだ。


そしてそのあやまった権力にも、それを平然と行使できる無自覚さにも、私たちはあきれつつも強い怒りを覚えている。


再開第5回:学生(あるいは6人目〜)が話しあいに参加すること


その強い怒りを覚えているところに再開第5回。
すでに日づけは3月30日。組合員はなしくずしに雇い止めされるのだろうという
不実な対応への怒りもあるなかで話しあいがはじまった。


会議室のドアの向こうに支援者がはじめから1、2名ほど(のちにはもっとたくさん)いた。
前回の団交では次回の団交の条件として参加人数を確認はしていない。


その1、2名をなかに入れられないか、という交渉からスタート。


「あっせんでそのように決まった」(←あっせんは「あっせん案」がまとまることで「決まった」です。間違ってる)
「組合員数の過半数くらいは参加を認めるということで5名としている」
「5名を6、7…としていったらキリがない」


専務理事は合理性とか納得性を重視するかのように話すのだが
その説明はいつも合理性も説得力もほとんどない。
それでもそれを押しきればなんとかなると専務理事に思わせているのは
その役職にどんな適用範囲も超えるような
「権限」や「権力」が存在しているという思いあがりだ。*1


いつもそこだ。そこで専務理事はまちがえる。
その権限や権力はそんなふうに使う目的で認められているのではない。


この思いあがりをやめてもらうことからしか、きちんとした話しあいは始められない。


確認はしなかったけど
こういう気持ちは組合がわとして団交に参加したひとには
共通していたと思う。


議論が平行線をたどるなかで、さらに専務理事は
学生を話しあいに参加させたくない理由を話しはじめた。


まず「教員と学生は、学生からの敬意を前提に教員から授業を施される関係にある」
という時代錯誤もはなはだしい理屈を背景にして
(↑ちなみに葉山副学長がすっごくだいすきなFDとか初年次教育とかにはそんなものは一切書かれていない)
「労働待遇の主張だけを全面に出している教員を学生が目にすれば、学生から教員への敬意が損なわれる」という配慮をあげた。


私たちが学生から得ている敬意を心配しているのだという。ほんとうにそうであればさっさと3年雇い止めをやめてみろっつーの。


そのうえ、私たちが「単位をちらつかせて学生を動員する(釣っている)かもしれない」ということを言い出した。


そちらが団交拒否をちらつかせて
都合のいいように話しあいを展開できる力を誇示しているからといって
そんな悪趣味を私たちまで持ち合わせていると想像するとは、さらに悪趣味。


また「学生の団交参加を認めることは大学の提供するべきサービスとしてふさわしくない」とおっしゃった。べつに学費を納めているかわりに団交参加の権利が与えられてるんじゃないだろうよ。


問題は、ハナから権力の認識や教育観が理事と私たちのあいだでずれまくっているということ。
精華大学ではたとえ権力を振りかざす人間がいたとしてもこんな教育観がまかりとおったためしはなかったはずだということ。
権限の集中しているひとがこんな貧困卑劣な発想をもとに権力行使し教育を語ること。


これらすべては自分たちが雇い止めされるのとおなじくらい
団交の時間をたくさん割いてでも話しあうべき重要なことだった。
(話しあっても無駄なのかもしれない、という失望はたえず忍び寄ってくるが、とりあえず無視)


たとえ3年で雇い止めという制度がなくなったとしても
こんな状況なら、私たちが大切にしたい働きかたやひととのかかわりかたなど
近いうちに失われていくだろうから。


けっきょく話は平行線のままで団交の残り時間も30分ていどにまでなった。
さきの報告のとおり、次回団交の日取りも決めないまま、理事会側の団交参加者は部屋を出ていった。


そこからさきのはなしは、また次の記事で。
団交拒否されたとツイッターでつぶやいたが、そこにいたる経緯はその記事を待ってください。

*1:こういうのパターナリズムというのでしょうか?

報告がおくれてすみません。

団交が再開されてから第3回までは
なんとか次回団交までに報告してきましたが
再開第4・5回についてはまだ報告していません。


それぞれの回で、
これまでずっと理事会とやり取りをつづけてきた私たちから見ると、
非常に象徴的なできごとが発生しました(あとで書きます)。


それで、再開第3回までの団交の議題とは
また次元のちがう議論を、
団交の時間のかなりの部分を割いて理事会とする必要がありました。


このできごとをどう紹介したものか。
などと考えているうちに4月。
組合員2名はもう雇い止めされました*1


結局のところ理事会はなにも考えるつもりもなく
いちばん安全に設計されている船室に閉じこもって
船倉に穴が開いていることにも気がつけないままに
沈みゆく船のなかで目を閉ざして惰眠をむさぼっている。

再開第4回(3月16日)


再開第3回で持ち越しとなったのは、

  • 推薦書はなぜ重要でないのか。内容が応募者のあいだで大差がないのか、それとも評価に影響がないという意味なのか。
  • そもそもなぜこれまで推薦書が存在していたのか。
  • 理事の感じているメリットについて「納得性」のある説明をする。

です。あとは、3年で雇い止めにするメリットとデメリットについて、あらためて再開第4回で確認されました。

3年で嘱託教職員を雇い止めにするメリットとデメリット


京都精華大学理事会とユニオンSocoSocoは
3年で教職員を雇い止めするメリット・デメリットについて
以下のとおり認識を共有しました。


1. 多くの人に雇用機会を提供できる

(使*2) 労働者にとってメリットとなることがあると考える
(労*3) 雇用機会を失うデメリットと相殺される


2. 期待権が生じない

(使) 3年上限がなければ、期待権が生じる可能性があり、継続雇用しなければならなくなり、将来、リストラが必要な状況となった場合の雇い止めに、合理性を説明しなければならず、「納得性」が難しいので、3年上限はメリットである。また、労働者側も期待権がないことはメリットだと考える。

(労) 雇用更新に3年上限があっても、業務が続いている以上、期待権は生じる。リストラよりも3年上限の方が納得いかない。


3. 職務の経験が失われる、本来必要ない引継ぎをしなければならない

(使・労・学*4) デメリット


4. 構築された良好な人間関係があれば失われる(同僚との関係、学生との関係)

(使・労・学) デメリット


5. 生活不安

(労) デメリット
社会全体のデメリットでもある


6. (3〜5により) 労働者のモチベーションの低下と、学生に対するサービスの低下、大学の魅力の低下につながるおそれがある

(使・労・学) デメリット


7. 恒常的な経費的なメリットはない。むしろ、採用のためのコストがかかるデメリットがある。ただし、将来、リストラが必要な状況となった場合に、3年上限があれば、3年ごとに自動的にリストラできるが、3年上限がなければ、期待権との関連などで必要であるリストラができない可能性があるので、3年上限に、経費的なメリットが出てくる可能性はある。

(使) デメリット(メリットがある可能性はある)

嘱託教職員を採用するときにもとめる推薦書について


また、推薦書にかんする2点の持ち越しの論点についてですが、まとめれば

  • 推薦書ができた当初から、毎年年度末のさし迫った時期に募集をしており、また当時は売り手市場だったので、よい人材を確保するために教員など応募者をよく知る人から推薦をしてもらうほうがよいと判断したため、応募者に精華大学の教員からの推薦書を求めることにした。
  • 過去に嘱託教員の選考にかかわった7名に確認したところ、推薦書を重要視して評価がくつがえったことはない。推薦書の内容には差がなく、また推薦書を重視もしなかった。

といった報告を受けました。

3つの要望書を提出しました。


要求事項は

  • 職場を去っても、精華大学で使用していた精華ドメインのメールアドレスを使えるようにしてほしい
  • 組合の掲示板を用意してほしい
  • 組合の事務所を用意してほしい

という、これからの活動に必要な条件です。このあたりは労働組合にたいして保障されるケースの多いものです。ご参考まで。

3月31日で雇い止めをされる2名の再雇用の要望について


いまは経費削減が必要なので新規のポストは作れない、とのこと。


――以上で再開第4回のまとめるべきことはおしまい。このときの持ち越しは

  • 推薦書がなくなる経緯について、前回専務理事から受けた報告と組合の調査結果が異なっていたので、専務理事が再調査
  • この回に確認したメリット・デメリットについてSocoSocoが文書を作成する
  • 2010年に日リテ部門の嘱託助手を募集したときに提出を求められた課題文でなぜ「職業観」を聞いたのか、理事が調査をする
  • 3年で雇い止めにするメリットについて「納得性」のある説明を理事がする(再開第2回からの持ち越し)
  • 3つの要望書に対する回答

再開第5回(3月30日)


3月21日の卒業式では
あたらしくできた屋台(いまのほうが断然かっこよくなってます)で
はちみつレモンとこのあいだ載せたビラをくばった。
たくさんの知り合いと出会えて楽しかった。


第5回は3月30日。
おそらくどうあっても組合員2名はいったんは雇い止めされるなあという日取り。


団交の議題は上に書いたような、時間稼ぎのような、のろのろの調査結果の列挙。


「制度の廃止はしない」の1点張りで切り抜けようとしている専務理事。
(いったいなにを?考えなければいけない経営課題を?団交を?)
(どちらにしても精華の経営状況にも働く私たちにも不誠実。)


応援に来てくれるひとをなかに入れてもいいのではないか。
大挙しているのではなくて、せめてひとりでも、見守りに来てくれたのだ。
そういうひとはありがたい、だから廊下に待ってもらうよりも、と思う。

3つの要望書に対する回答
  • メールアドレス:1年はほかのアドレスに転送する制度がある。周知を徹底していなかったので、する。(ちなみに学生は卒業後も申請すれば利用できる制度があります)
  • 事務所:精華にはスペースがないので提供はできない。
  • 掲示板:それ以外の場所に組合のビラを掲示しないなら、提供する。


――3月30日の団交は、ここまでの経緯に沿って報告できるのは、これだけ。
次回団交の日取りなども決まらないまま、
理事会側の団交参加者3名は団交を打ち切って部屋を出ていった。


さて。すでに知っているひともあるのだけどここから30日は一悶着。


そのまえに再開第4回と第5回の団交では2時間のなかで
どういう問題に時間を割いていたのか、つぎに書いておきたい。

(つづく)

*1:なったのではなくて、された。

*2:使用者にとって、の意。

*3:労働者にとって、の意。

*4:学生にとって、の意。

希望なき夜の希望にむけて

ついさっき灯りがきえるように失業した。
3年がすぎて契約が切れたのだ。


あしたからの生活に希望をたたえたひとがたくさんいる一方で、
非正規にとって3月31日はとてもつらいというはなしをきょうほど共感をもってきいたことはなかった。

ユニオン・エクスタシーの裁判も全面棄却、
精華では同僚が鍵を返しにいったらパワハラにあい、
副学長は「雇い止めがないときりがない」と発言して、
都合が悪くなるとはなしもきかずに逃げ出し、
学長はそれなりにはなしにつきあってくれた、そんなはげしい一日。


3年雇い止め反対をいいつづけて、
しかし結局くびになったいま思うのは、
いってきたことはまちがっていなかったということだ。


使い捨てられるなんて経験は、できればだれもしないほうがいい。
同僚にしても、いままでおしえてきた学生にしても。
経験も、人格もなにもかもなかったことにされるのだ。


きみの席はもうありませんって具合に。



3月30日に寝ずに書いたビラを長文だけどアップしておこう。
結論としてはタイトルを裏切るかのように、雇い止め前夜にはどんな夢もみれないってことがにじみでている。


以下ビラ。


雇い止め前夜にどんな夢をみるか。
―――嘱託教職員3年使い捨て制度反対活動の報告にかえて。


3月30日。ついに雇い止めまで一晩になった。
しごとがなくなるわけではなくて、3年目の更新期限をむかえるから。
ぼくが働いていた日本語リテラシー教育部門も春からの準備でいそがしいころだろう。
ちがうことといえば、ただじぶんがそこにいないだけだ。


ちょうど去年のいまごろにひそかなバイブルだった『ブッデンブローク家の人びと』を、
眠れないままひらいてみる。
第一巻のクライマックス、海岸線が美しい夏のトラヴェミュンデで、
豪商の娘である、若いアントーニエ(トーニ)は、
医学生のモルテンが口にする自由という言葉に強く惹きつけられる。

かの女は「自由という言葉の意味するものを、漠然と感じ、予感にみちた憧憬を掻き立てられた」 ―――それは人びとが身分をこえて恋をしたり、ものをいったりすることができるという、
あたらしい時代の象徴としての自由がトーニの胸にとどいたすてきなシーンであるのだけど、
結局トーニはその憧れを夏の記憶と一緒にしまいこみ、
家柄にふさわしい結婚を選んだ(それは失敗に終わるのだが)。(1)

そのあとトーニがどんな人生を生きたかということはともかく、
あしたくびになるといういまもその自由への憧憬をたたえた一場面は、美しく感じられる。
派遣切りや雇い止めがこれだけ普通におこなわれる、
人間がまったく大切にされない世のなかにあっても、
つくってきたひととのつながりを大事にしながら同じ場所で働き続けたいと声をあげつづけたのはまちがっていなかったと思うのだ。 


はじめて読むひとのためにまずは状況説明を。
いま精華大学では70名くらいの嘱託(しょくたく)教職員のほとんどが
1年契約で3年という更新制限のもとで働いている。
日本語リテラシーのチューターや、初年次演習の助手さん、
学生課から総務課まであらゆるところで、
専任のひとたちと同じようになくてはならないしごとを日々している。
それなのに期限がきたらしごとが続いていても、さようなら、ということになる。
数年ごとに引継ぎを繰り返すのは非生産的だし、
だいたい精華は「人間を大切にする」ことを創立の理念に掲げているので、
雇い止め制度の廃止を求めて労働組合をつくって活動をはじめたのが2009年12月のこと。
食堂前に建てた組合の小屋を理由に理事会は
2010年7月から交渉を拒否していたが、
京都府労働委員会でのあっせんを経て、今年2月に交渉が再開され現在にいたる。

ちなみにいままで3年で雇い止めすることについて大学がメリットとしてあげているのは
?雇用継続の期待権が生じるのを防げる
?将来入学者減など経営不振でリストラが必要な状況がきたときに、
解雇の理由を説明することなくくびを切れるから、というふたつだけ。

つまり、すでにいる専任教職員の条件を維持しながら、
大学の規模の拡大や縮小にともなう雇用の増減を、
すべて使い捨ての人員でまかなうという算段らしい。
そんなちっぽけな理由のために、わたし(たち)は明日もみえない不安定な状況のなかで、
専任教職員のひとたちとまったく同じように働くのだ。
見渡せば精華で働くひとの7割が非正規になっている 。(2)

今回は、理事会の不誠実な対応や無駄遣いといった
すぐに理解できるアジテーションではなく、ちょっとちがう切り口から話をはじめよう。


まだ十分に夏の余韻を残した10月のはじめころ。
食堂前のいまはなき組合小屋のまえでバーベキューをした。
夕暮れどきに学生も職場の同僚も集まってきて、
ゆれる炎を囲みながら夜おそくまで。
それはありふれてはいるけれど、すてきな光景だった。

ふと目のまえにいた一年目の同僚に、
「来年4人もいなくなるとさびしいでしょ」といってみた
(今年度末にうちの部門で働く8人のチューターのうち4人が雇い止めになる)。
そのひとは、ただ、むちゃくちゃさびしい、といった。
その言葉は、シンプルではあるけれど、とても強くひびいた。

わたしたちは、ひとりで働いているのではなくて、
すぐ隣にいるひとたちとのかかわりのなかで、働いている。
学生やほかの教職員とも挨拶をしたり、ときにじっくり話したりしながら、
職場のこと、自分のこれからのこと、出会ってきたひとたちのこと、などを考える。
そのつながりが意味もなく、毎年毎年断ち切られていく教育環境は異常だし、
なによりもぼくはもっと人間の感情が生き生きとしていられるような職場で働きたい。
だから、2009年度の終わりに同僚が雇い止めになることががまんできなくて、
活動をはじめた――そんなことを思い出した。


めまぐるしく 展開したできごとをすべて書くことはできないので、いくつかポイントしぼろう。
雇い止めの廃止と交渉のテーブルにつくことを求めて極寒の12月に
ハンガーストライキをしたのは、ぎりぎりの選択だった。
水だけ飲んで過ごす日々は7日間続いて、体重は5キロ減った。
専任教員のひとが差し入れでカイロを届けてくれたり、
ツイッター経由でこのことを知ったひとが精華まで応援にきてくれたり、
3日目くらいからは何人もの学生が寒空のしたアピールをきいて、
ついでにビラまでくばってくれた。
阪大、京大、龍谷立命といったほかの大学からも応援のひとがきてくれて、
メディアも京都新聞関西テレビのひとが取材にきた。(3)
けれど、かんじんの理事会からは一切反応がなかった。

2010年のはじめから集めてきた
『日本語リテラシーチューターの3年雇い止め制度の廃止を求める要請署名』も、
交渉の再開を求める署名とあわせて集約して提出した。
1年を通して、900名近いひとが署名に協力してくれた。
若干名の専任教職員、同じ部門の同僚、何人かの嘱託教職員も署名してくれた。
非正規で署名してくれたひとのほとんどはもう雇い止めや転職で精華を去ったけれど。
署名してくれたひとのうち6割くらいが精華の学生で、
どんなに少なく見積もっても全学生約4100名の1割はこえる。
それだけたくさんのひとの声が集まっても、理事会は、ほとんどまともに検討すらしなかった。
象徴的な回答をひとつ引用しておこう。
「必ずしも嘱託教職員全員が前を向いて働いていただいていないとは認識しておらず、
積極的に働いていただいている方々も多数おられることと思います」(7月27日の回答書)。

つまり問題だと感じるほうが問題だということらしい。

  
あとひとつ特筆すべきことがある。
署名を提出した1月14日にはけっこうたくさんの学生が、
上々手専務理事、赤坂理事長に、雇い止め制度の理由をききにいった。
そのときは食事で席を外している、という説明がされたとのこと。
しかし、ふたりともそのまま予定が変更になったとかで、もどってこなかった。
総務課でも、ふたりの居場所がわからず、しょうがないので署名は有田総務部長に提出した。
そのときはちょうど関西テレビも取材に入っていて、
要するに理事たちは学生からもカメラからも組合からも逃げ回っていたわけだけれど、
そのことの屈折した弁明はあまり予期しなかったかたちでなされた。
「自らの労働条件の問題に学生たちを巻き込むあなた方のやり方は、
教育者としてあるまじき行動です」(2月2日の回答書)。
ひとつだけ返答するなら、3年雇い止めは労働問題であるのと同時に教育の問題であり、
学生にとっても日常的に接している教職員が次々にいなくなっていくのだから、
当然ひとごとではない。
代弁するのもおかしいので、
ここでは学生による雇い止め反対サイトができたということだけふれておこう 。(4)


思い返してみれば、この1年のあいだに、
わたし(たち)がいったことに反応を返してくれたほとんどが学生だった。
その意味では「学生を巻き込んだ」のではなく、これだけすぐ近くにいても、
同じ職場で働く同僚のほかに3年雇い止めが問題であると感じとることができたのは、
学生だけだったのかもしれない。


そんなふうな時間を過ごしていま、
夢をみていたのかもしれないとも思う。
最初のビラに「10年後を思い浮かべられる職場へ」と書いたように、
卒業していった学生たちが遊びにきたり、
ボニーとクライドよりはもう少し落ち着いて毎日の暮らしを考えながら、
精華大学の今後を想起する、そんな10年後がありえたかもしれない。

しかし現実はそうはならなかった。
この春にも学生課で、教務課で、そして日本語リテラシー教育部門で、
未来があったはずのたくさんの嘱託教職員が雇い止めになる。
それでいて、理事会は、学生と教職員の「交流」の活性化も視野にいれて、
2年まえにできたばかりの本館のレイアウト変更と部署の大移動を
莫大な予算をかけておしすすめる。
3年でいなくなってしまうひとばかり雇って、
なんのためにコミュニケーションを活発にするのか? きちんとさよならがいえるように? 


ほんとうの悲劇は、こんなにもまったく無意味にひとが使い捨てになっていく状況が
悲惨なものであると、おおくのひとがまだ気づいていないことだ。
新学期がはじまってオフィスを訪れるひとは、
空っぽになったいくつもの机をみて、
なにかがこの大学から失われたことに気づくかもしれない。
それでも、いつだって手遅れということはない。

きょうは団体交渉の日(14時〜16時)で、リミットはわずか一日。
「夢かもしれない でもその夢をみてるのはきみひとりじゃない なかまがいるのさ」という清志郎の声がみょうにリアリティを持って感じられる雇い止め前夜。

いまはただ書き続けることで、希望をつなごう。

読んでくれたひと、どうもありがとう。(30st Mar 2011)


(1)『ブッデンブローク家の人びと』(トーマス・マン作 望月市恵訳・岩波書店・一九六九年・二〇三頁)。

(2)非常勤を含んだ数字。

(3)urlよりも検索キーワードの方がアクセスが簡単なので書くと、「京都精華 ハンスト」とYoutubeで検索するとすぐ出てくる。ニュースはハンストのみを取り上げたものと、他大学の状況もあわせて紹介したものとふたつあり、後者の方が問題をわかりやすく提示している。

(4)http://beauty.geocities.jp/yoneoka_tomohiro/text/seika3.html

再開第3回目の報告

地震とか津波とか原発の水素爆発とか、ほんとうに未曽有の事態がつづいています。
なにか力になれたらと思いますが
いまのところツイッターでつぶやくくらいしかできていないです。


気がついたらまた団交の前日になって
あわてて前回の報告をすることになってしまいました。


3月3日の団交再開第3回目は

  1. 組合員の2人が2010年12月に現職に再応募したとき、選考書類として学内者からの推薦書が求められなかったこと
  2. 特任教員の募集などでおこなわれる「学内推薦」の制度のこと
  3. 3年で雇い止めにするメリットとデメリット

について理事会と話をしました。

1. 組合員の2人が2010年12月に現職に再応募したとき、選考書類として学内者からの推薦書が求められなかったこと

 これはこの2人が2007年にいまの仕事に就くときの選考書類には推薦書が入っていたのに、2010年の募集ではそれがないのはなぜ?ということです。
 学内者からの推薦書は、いままでその仕事で働いてきたひとには、一般的には有利なものだと考えられます。いままでのじっさいの仕事ぶりを評価してもらえるわけですから。


 理事は、今回の日リテチューターの採用選考を担当した4人の選考委員のうち2人に聞き取りをしたそうです。その結果として、

  • 4人で今回の選考では推薦書は重要視しないという方向を会議で決定した
  • これまでの選考でも推薦書は重要ではなく、そうした「しばり」をはずすことでより多くのひとを募りたいという意図でおこなった
  • 現職の2名について取り扱いを振り不利[3/16 2:39訂正]にしようという意思はなかった

という報告がありました。この説明も、はじめのうちはなにかはっきりせず二転三転するような状況でまったく信用できなかったので、いっそのこと選考にかかわったひとを団交の場によんでほしいと言いましたが、理事はそれについて「ちゃんと調査している」と拒否しました。ちゃんと報告できてから「ちゃんと調査している」と胸をはるものだと思うのですがね。


 また、そこから

  • 推薦書はなぜ重要でないのか。内容が応募者のあいだで大差がないのか、それとも評価に影響がないという意味なのか。
  • そもそもなぜこれまで推薦書が存在していたのか

という疑問がわいたので、それを次回団交までに理事が調査することになりました。

2. 特任教員の募集などでおこなわれる「学内推薦」の制度のこと

 2010年3月、2名の嘱託教員が特任教員になったさいに行われた採用過程のことを、前回の団交で理事が「学内推薦」と言いました。それについての詳細を聞きました。


 学部・大学院以外の特任教員の任用については、公募か専任教職員の推薦か、どちらかで選考をするそうです。今回SocoSocoが議題にしている教員2名の採用過程では、「今後必要だと判断されるポストがあり、それに適したひとを探したところ2名だったため、『このポストにこの2名を』という専任教職員の推薦を学長が受けて、理事会でそれを承認した」という流れだったそうです。


 つまり、ポストとそこに採用されるひとがセットで理事会に提案されるのが学内推薦、というわけです。やっぱり、実質的には雇い替えなんじゃないの。3年で雇い止めに矛盾があるとみずから露呈しましたね。。

3. 3年で雇い止めをするメリットとデメリット

理事が感じているメリット

  • 3年上限を理由にして、将来的に必要になるかも知れないリストラを自動的におこなうことができる
  • 3年を上限にすれば、雇用継続の期待権が生じない

組合が理事に伝えたデメリット

  • 不要に職務経験が失われて引き継ぎが発生している
  • 職場で構築してきた人間関係が失われる(上司・同僚・学生すべてとの関係)
  • そこで働くひとは生活が不安定・生活に不安を感じる
  • 以上から、働くひとのモチベーションが下がり、学生への対応がきちんとできなくなり、最終的には大学の魅力が低下する


 けっきょくのところ、双方の立ち位置のちがいで理事にはこのメリットが大きく見え、私たちにはこのデメリットが大きく見えている、ということが確認されたところで、2時間は終了。。
 なんで将来的に必要なリストラのために、いま私たちが犠牲にならなきゃいけないのでしょう。そういうの、無駄な投資っていうんですよ。まったく納得がいかないので

  • 理事の感じているメリットについて「納得性」のある説明をする

ということも次回団交の議題として設定されました。ちなみに「納得性」とは理事みずから考案された単語のようです。合理性ではなくて、納得性。。

さて。次回は3月16日。再開第4回目です。

 次回の団交は3月16日(きょう)15時からです。前回までとは時間が違うのでご注意を。14時半から小屋あとで簡単にアピールをしてからいきます。


 お時間のあるかたはぜひ来てください。大学へ行くのは久しぶりです。ゲルとかできてるんでしょうか。

前回の団交のこと

気がついたら団交前夜でした。
あす3月3日は再開から3回を数える団交ですが(3ゾロですねー)
テンションを上げるためにも前回の報告をします。
遅くなりました。


2月17日の団交について

1. どうして現職が同じ部門に対して再応募したのを書類審査で落としたのか

そのときの書類審査のしかたを教えてもらいました。それによると、

  • 応募者から提出された3種類の文書のみを評価した(つまり、経験は考慮しないってこと)
  • 採用を検討する4名がそれぞれに文書により応募者をランクづけした(つまり、文書の点数化もひととなりについて議論もしなかったってこと)
  • そのランクに応じた得点をあたえて合計し、面接をおこなう応募者を決定した。

だれかが1位だと評価してもだれかが26位にすればあっというまに
平均的に10位だったひとよりも下位になる。というわけ。


もうすこし人間を大事にしてください。


2. 昨年度に期限切れをむかえた4人の嘱託教員のうちふたりを特任教員という肩書きにかえて再度雇っているが、それは実質的には雇用の延長ではないのか(更新上限を理由に切っていない)

ということにたいしては、


契約書の業務内容がちがうのだから雇用の延長ではない。今年は異なる業務が発生しなかったので一見すると業務がおなじに見えたかもしれないが今後は異なる業務を遂行していくこともあるだろう。


なんて回答をいただきましたが、あまりにあまりな回答だったので一同この件については話す気力が失せました。



3. 話したこと・ほかに

  • 契約書でサインした範囲を超えた業務をしているような気がします

という意見については

「(団交で具体的に挙がった業務については)自由意志に任せている」というお答えをいただきましたが


同僚がその業務をして大変ななかで、だれがひとりだけやらないという判断ができるというのでしょうか。無理です。

やるならやるで、きちんと量を決めてもらわないと働けません(いまじっさいにそうしています)。


「好きなだけ働いていい」と上司に言われて、「やった働きたくなかったらやらなくていーんだ、ラッキー」などと完全に思えるほど間抜けではないし、むしろそれがある種の脅しや踏み絵(もし嫌だったら働かなくてもいーけど、来年の契約更改に響くかもねーあはは)に見えるのが普通の感覚です。

  • うえの議論をふまえて、来年の契約書の業務範囲が広がってたらほんとうに困ります


と恐るおそる言ったところ、「なら契約更改にサインするまえに言えばいい」という答え。

契約更改の契約書をまえにして、生活のかかっている私たちに、そんなことをしろって?


しかも契約書が送られてきたのが2月末日でいまから4月からの新しい仕事を探してもろくに見つからないであろう私たちに??


サインするまえに不満のあるところを言っていいなんて、「いやならサインしなくてもいい」と言われかねないという恐怖とかぎりなく裏腹の関係に聞こえるってことがわかってるんだろうか???


私たちのような非正規労働者は、
「いやならいつでもやめられる」自由があるかのように言われるけど
働かないという選択肢が
現実的にポジティブにおもえる状況にあるひとなんてほとんどいない。


生活があるからいやでもやめられない状況は
非正規/正規という「/」など関係なく存在するのに。
非正規には生活がないかのような扱いをなんで平気でするんだろう。

  • ていうか3年で雇い止めにするメリットってけっきょくなに?


これはあんまり出ませんでした。というか次回に持ち越しになったので次回の報告で。

  • 次回団交で話すこと(予定)


1. チューターの選考書類に、去年までは存在していた「推薦書」が今回はなくなっていたこと
2. 「学内推薦」という制度のこと
3. 3年で雇い止めにするメリットとデメリットについて
4. 回答書のつづきのツッコミどころについて


とりとめのない報告おしまい。


あすはまた午後1時から小屋あとでアピールしてからいきます。
もう授業もなく閑散とした時期ですが、応援よろしくおねがいします。

再応募のこと

ちょっとトピックとしては古いのですが、事情がわからないひともいると思うので簡単に説明。


SocoSocoは2009年12月から3年雇い止め(更新制限)の廃止を求めて活動しているのだけど、そのなかで更新制限をむかえても失業する予定でも、その自分が抜ける予定の場所におこなわれる求人に応募する権利がある、という確認を理事会とのあいだでとっている(2010年1月26日)。


そもそも、求人が新たに必要になるところに有期雇用がおかしいやんけとも思うのですが、団体交渉も拒否されていて(2010年7月―2011年1月まで)制度が急にかわる未来もみえないという状況で、更新期限をむかえる組合員2名が、くびになる部門にかかっていた募集に応募しました(2010年12月)。


しかし、その結果はあえなく書類選考で落選!



そこらへんのいきさつは、関西テレビのニュースでも紹介されているので、詳しくはそちらをみてもらえるといいのですが、その後しらべていてどうも腑に落ちないことが落ちた瞬間よりもふえてきた。


いちばん特徴的なものをあげると



・これまでずっと続けてきた公募の際の推薦制度を今年から廃止した。

・部門自体の規模の縮小や、業務対象の変更など、まるで計画性のない改変が意味もなく行われる(らしい)。



応募は27名あり、7人が面接まですすみ、最終的には3名が合格したらしいのだけど、
書類選考で経験者を落とすこと自体がどうも理解できないし、これまで推薦制度という形でなにかと精華とつながりがあったり、人柄やしごとにお墨付きのあるひとをとってきたのに、今回に関しては「応募書類に書いてあることしか審査の材料にしなかった」(2月17日の団交で示された大学側の調査結果)という。


逆に考えると、応募書類上でのアドバンテージをあらかじめ奪うような公募のしかたを今回は採用したという印象。



これは本題ではないけれど、精華で働いているひとで情報をもっているひとはぜひ

seika_soco_soco@yahoo.co.jpまで。