希望なき夜の希望にむけて

ついさっき灯りがきえるように失業した。
3年がすぎて契約が切れたのだ。


あしたからの生活に希望をたたえたひとがたくさんいる一方で、
非正規にとって3月31日はとてもつらいというはなしをきょうほど共感をもってきいたことはなかった。

ユニオン・エクスタシーの裁判も全面棄却、
精華では同僚が鍵を返しにいったらパワハラにあい、
副学長は「雇い止めがないときりがない」と発言して、
都合が悪くなるとはなしもきかずに逃げ出し、
学長はそれなりにはなしにつきあってくれた、そんなはげしい一日。


3年雇い止め反対をいいつづけて、
しかし結局くびになったいま思うのは、
いってきたことはまちがっていなかったということだ。


使い捨てられるなんて経験は、できればだれもしないほうがいい。
同僚にしても、いままでおしえてきた学生にしても。
経験も、人格もなにもかもなかったことにされるのだ。


きみの席はもうありませんって具合に。



3月30日に寝ずに書いたビラを長文だけどアップしておこう。
結論としてはタイトルを裏切るかのように、雇い止め前夜にはどんな夢もみれないってことがにじみでている。


以下ビラ。


雇い止め前夜にどんな夢をみるか。
―――嘱託教職員3年使い捨て制度反対活動の報告にかえて。


3月30日。ついに雇い止めまで一晩になった。
しごとがなくなるわけではなくて、3年目の更新期限をむかえるから。
ぼくが働いていた日本語リテラシー教育部門も春からの準備でいそがしいころだろう。
ちがうことといえば、ただじぶんがそこにいないだけだ。


ちょうど去年のいまごろにひそかなバイブルだった『ブッデンブローク家の人びと』を、
眠れないままひらいてみる。
第一巻のクライマックス、海岸線が美しい夏のトラヴェミュンデで、
豪商の娘である、若いアントーニエ(トーニ)は、
医学生のモルテンが口にする自由という言葉に強く惹きつけられる。

かの女は「自由という言葉の意味するものを、漠然と感じ、予感にみちた憧憬を掻き立てられた」 ―――それは人びとが身分をこえて恋をしたり、ものをいったりすることができるという、
あたらしい時代の象徴としての自由がトーニの胸にとどいたすてきなシーンであるのだけど、
結局トーニはその憧れを夏の記憶と一緒にしまいこみ、
家柄にふさわしい結婚を選んだ(それは失敗に終わるのだが)。(1)

そのあとトーニがどんな人生を生きたかということはともかく、
あしたくびになるといういまもその自由への憧憬をたたえた一場面は、美しく感じられる。
派遣切りや雇い止めがこれだけ普通におこなわれる、
人間がまったく大切にされない世のなかにあっても、
つくってきたひととのつながりを大事にしながら同じ場所で働き続けたいと声をあげつづけたのはまちがっていなかったと思うのだ。 


はじめて読むひとのためにまずは状況説明を。
いま精華大学では70名くらいの嘱託(しょくたく)教職員のほとんどが
1年契約で3年という更新制限のもとで働いている。
日本語リテラシーのチューターや、初年次演習の助手さん、
学生課から総務課まであらゆるところで、
専任のひとたちと同じようになくてはならないしごとを日々している。
それなのに期限がきたらしごとが続いていても、さようなら、ということになる。
数年ごとに引継ぎを繰り返すのは非生産的だし、
だいたい精華は「人間を大切にする」ことを創立の理念に掲げているので、
雇い止め制度の廃止を求めて労働組合をつくって活動をはじめたのが2009年12月のこと。
食堂前に建てた組合の小屋を理由に理事会は
2010年7月から交渉を拒否していたが、
京都府労働委員会でのあっせんを経て、今年2月に交渉が再開され現在にいたる。

ちなみにいままで3年で雇い止めすることについて大学がメリットとしてあげているのは
?雇用継続の期待権が生じるのを防げる
?将来入学者減など経営不振でリストラが必要な状況がきたときに、
解雇の理由を説明することなくくびを切れるから、というふたつだけ。

つまり、すでにいる専任教職員の条件を維持しながら、
大学の規模の拡大や縮小にともなう雇用の増減を、
すべて使い捨ての人員でまかなうという算段らしい。
そんなちっぽけな理由のために、わたし(たち)は明日もみえない不安定な状況のなかで、
専任教職員のひとたちとまったく同じように働くのだ。
見渡せば精華で働くひとの7割が非正規になっている 。(2)

今回は、理事会の不誠実な対応や無駄遣いといった
すぐに理解できるアジテーションではなく、ちょっとちがう切り口から話をはじめよう。


まだ十分に夏の余韻を残した10月のはじめころ。
食堂前のいまはなき組合小屋のまえでバーベキューをした。
夕暮れどきに学生も職場の同僚も集まってきて、
ゆれる炎を囲みながら夜おそくまで。
それはありふれてはいるけれど、すてきな光景だった。

ふと目のまえにいた一年目の同僚に、
「来年4人もいなくなるとさびしいでしょ」といってみた
(今年度末にうちの部門で働く8人のチューターのうち4人が雇い止めになる)。
そのひとは、ただ、むちゃくちゃさびしい、といった。
その言葉は、シンプルではあるけれど、とても強くひびいた。

わたしたちは、ひとりで働いているのではなくて、
すぐ隣にいるひとたちとのかかわりのなかで、働いている。
学生やほかの教職員とも挨拶をしたり、ときにじっくり話したりしながら、
職場のこと、自分のこれからのこと、出会ってきたひとたちのこと、などを考える。
そのつながりが意味もなく、毎年毎年断ち切られていく教育環境は異常だし、
なによりもぼくはもっと人間の感情が生き生きとしていられるような職場で働きたい。
だから、2009年度の終わりに同僚が雇い止めになることががまんできなくて、
活動をはじめた――そんなことを思い出した。


めまぐるしく 展開したできごとをすべて書くことはできないので、いくつかポイントしぼろう。
雇い止めの廃止と交渉のテーブルにつくことを求めて極寒の12月に
ハンガーストライキをしたのは、ぎりぎりの選択だった。
水だけ飲んで過ごす日々は7日間続いて、体重は5キロ減った。
専任教員のひとが差し入れでカイロを届けてくれたり、
ツイッター経由でこのことを知ったひとが精華まで応援にきてくれたり、
3日目くらいからは何人もの学生が寒空のしたアピールをきいて、
ついでにビラまでくばってくれた。
阪大、京大、龍谷立命といったほかの大学からも応援のひとがきてくれて、
メディアも京都新聞関西テレビのひとが取材にきた。(3)
けれど、かんじんの理事会からは一切反応がなかった。

2010年のはじめから集めてきた
『日本語リテラシーチューターの3年雇い止め制度の廃止を求める要請署名』も、
交渉の再開を求める署名とあわせて集約して提出した。
1年を通して、900名近いひとが署名に協力してくれた。
若干名の専任教職員、同じ部門の同僚、何人かの嘱託教職員も署名してくれた。
非正規で署名してくれたひとのほとんどはもう雇い止めや転職で精華を去ったけれど。
署名してくれたひとのうち6割くらいが精華の学生で、
どんなに少なく見積もっても全学生約4100名の1割はこえる。
それだけたくさんのひとの声が集まっても、理事会は、ほとんどまともに検討すらしなかった。
象徴的な回答をひとつ引用しておこう。
「必ずしも嘱託教職員全員が前を向いて働いていただいていないとは認識しておらず、
積極的に働いていただいている方々も多数おられることと思います」(7月27日の回答書)。

つまり問題だと感じるほうが問題だということらしい。

  
あとひとつ特筆すべきことがある。
署名を提出した1月14日にはけっこうたくさんの学生が、
上々手専務理事、赤坂理事長に、雇い止め制度の理由をききにいった。
そのときは食事で席を外している、という説明がされたとのこと。
しかし、ふたりともそのまま予定が変更になったとかで、もどってこなかった。
総務課でも、ふたりの居場所がわからず、しょうがないので署名は有田総務部長に提出した。
そのときはちょうど関西テレビも取材に入っていて、
要するに理事たちは学生からもカメラからも組合からも逃げ回っていたわけだけれど、
そのことの屈折した弁明はあまり予期しなかったかたちでなされた。
「自らの労働条件の問題に学生たちを巻き込むあなた方のやり方は、
教育者としてあるまじき行動です」(2月2日の回答書)。
ひとつだけ返答するなら、3年雇い止めは労働問題であるのと同時に教育の問題であり、
学生にとっても日常的に接している教職員が次々にいなくなっていくのだから、
当然ひとごとではない。
代弁するのもおかしいので、
ここでは学生による雇い止め反対サイトができたということだけふれておこう 。(4)


思い返してみれば、この1年のあいだに、
わたし(たち)がいったことに反応を返してくれたほとんどが学生だった。
その意味では「学生を巻き込んだ」のではなく、これだけすぐ近くにいても、
同じ職場で働く同僚のほかに3年雇い止めが問題であると感じとることができたのは、
学生だけだったのかもしれない。


そんなふうな時間を過ごしていま、
夢をみていたのかもしれないとも思う。
最初のビラに「10年後を思い浮かべられる職場へ」と書いたように、
卒業していった学生たちが遊びにきたり、
ボニーとクライドよりはもう少し落ち着いて毎日の暮らしを考えながら、
精華大学の今後を想起する、そんな10年後がありえたかもしれない。

しかし現実はそうはならなかった。
この春にも学生課で、教務課で、そして日本語リテラシー教育部門で、
未来があったはずのたくさんの嘱託教職員が雇い止めになる。
それでいて、理事会は、学生と教職員の「交流」の活性化も視野にいれて、
2年まえにできたばかりの本館のレイアウト変更と部署の大移動を
莫大な予算をかけておしすすめる。
3年でいなくなってしまうひとばかり雇って、
なんのためにコミュニケーションを活発にするのか? きちんとさよならがいえるように? 


ほんとうの悲劇は、こんなにもまったく無意味にひとが使い捨てになっていく状況が
悲惨なものであると、おおくのひとがまだ気づいていないことだ。
新学期がはじまってオフィスを訪れるひとは、
空っぽになったいくつもの机をみて、
なにかがこの大学から失われたことに気づくかもしれない。
それでも、いつだって手遅れということはない。

きょうは団体交渉の日(14時〜16時)で、リミットはわずか一日。
「夢かもしれない でもその夢をみてるのはきみひとりじゃない なかまがいるのさ」という清志郎の声がみょうにリアリティを持って感じられる雇い止め前夜。

いまはただ書き続けることで、希望をつなごう。

読んでくれたひと、どうもありがとう。(30st Mar 2011)


(1)『ブッデンブローク家の人びと』(トーマス・マン作 望月市恵訳・岩波書店・一九六九年・二〇三頁)。

(2)非常勤を含んだ数字。

(3)urlよりも検索キーワードの方がアクセスが簡単なので書くと、「京都精華 ハンスト」とYoutubeで検索するとすぐ出てくる。ニュースはハンストのみを取り上げたものと、他大学の状況もあわせて紹介したものとふたつあり、後者の方が問題をわかりやすく提示している。

(4)http://beauty.geocities.jp/yoneoka_tomohiro/text/seika3.html