こんな一年

前回の団体交渉報告や、今後の活動のこと、なんで有期雇用なん? 集会の報告など書かないといけないことがいつのまにか積み重なってしまったので、きょうから続けてアップしていきます。

まずは集会で報告した内容のレジュメを。



京都精華大学ユニオンSocoSocoの雇い止め反対活動1年間のこと

1.結成のきっかけと当初の活動(2009・11〜12)

 ・日本語リテラシー教育部門(8名の嘱託助手・4名の嘱託講師のみの部門)所属の助手2名・講師2名が2009年度末に更新期限(※参照)切れで雇い止め予定に⇒講師のみが期限延長というはなし。

 ・11月に学生のサークル社会科学研究会で組合運動入門講座開催(山家が出席)。

・嘱託助手数名で嘱託教職員組合SocoSoco結成+団体交渉の申し込み。
・12月22日に第一回目の団体交渉⇒助手はアシスタントであり更新の可能性はない、とのこと。


2.食堂まえの小屋の建設と昼やすみストライキ(2010・1〜2)
・不可視の存在としての嘱託教職員⇒小屋を建てることで目に見えるように。
・お昼休みに豚汁をくばって雇い止め反対署名を集める⇒反ハンガーストライキという方向。
・学生の積極的な応援と理事側の反応。
・1月26日に第二回目の団体交渉⇒雇い止めは防げず、再応募権の確認のみ。
・2月から春休み。期限切れの助手は再応募せず、講師は特任という肩書きで再雇用。


3.イベント中心組合活動とゆるやかな団体交渉(2010・4〜7)
・昼休みストライキは週1回ペースで継続。
・『就活プレッシャーに負けない連続講座』開催⇒4月博物館学芸員のひと、5月チベット医のひと、6月猟師さん、7月ドイツファシズム研究者、11月標本作成技術者。コンスタントに20名〜40名の学生が参加。
ノルウェーのパフォーマンスグループ「ハングリーハーツ」の公演(4月)、フランスのフェミニストアーティストFuryさんの作品展+公演。
・5月、7月と団体交渉。⇒更新制限は堅持という回答書。理事会が小屋を理由に交渉拒否をはじめる。


4.理事会による団体交渉拒否からハンガーストライキまで(2010・9〜12)
・回答書への質問状+団体交渉の申し込み(10月)⇒すべて拒否という回答。
・学園祭での出店とアピール+交渉再開を求める新署名集め。
・雇い止め予定の2名が同部門に再応募⇒書類選考で落とされる(12月24日)。現職者が不採用になる矛盾。
・12月14日にハンガーストライキ開始(21日まで)⇒学生を中心に一気に関心が集まる。
京都新聞関西テレビの取材(Youtube 「京都精華 助手」で検索)。


5.メディア取材と労働委員会によるあっせんを経て交渉再開(2011・1〜現在)
・1月14日に小屋一周年豚汁ストライキ+署名の提出。同タイミングで学生の餅つきイベント⇒関西テレビの二回目の取材(Youtube 「大学 非正規」で検索)。
・1月16日、小屋の解体⇒老朽化と雇い止めまで時間がないことから。
・1月18日労働委員会のあっせんで交渉再開決定⇒学生不可、参加者5名まで、2時間という条件つきで。
・2月2日に再開団体交渉一回目。同日10月質問状への回答。関西テレビ三回目の取材。2月17日にも交渉。進展なく、再応募で不採用にしたのは書類のみを参考に審査をしたからとの回答。⇒次回交渉が3月3日(木)13時半に決定。


まとめ(キーワードだけ):非正規で働くという実感からスタート。わかりやすいことばのビラ。不可視の存在としての非正規労働者。学生の積極的な協力と専任教職員の沈黙。教育現場における運動の可能性。

     
京都精華大学正規・非正規教職員の割合
専任教職員(173名) 特任教員(39名) 嘱託教職員・契約(91名) 非常勤講師(377名) 合計 680名



こうやってみるとそれなりに一年間活動していたということはわかります。


実際の報告では時間がないこともあって、おもにどんな思いで活動してきたかという話が中心になった気がする。


雇い止め間近ですが、春からの展開を考えないと。


そういえば、精華が4年制の大学になったときに非常勤のひとを何人も雇い止めにしてて、そのとき雇い止めに反対して大学と団体交渉をしたひとが雇い止めになったあとも自主講座を続けたという話をこのまえきいた。


あんまり粘り強くはないほうだけど、そういうたたかいかたもあるんだとちょっと関心した。


さてさて。