SocoSocoの要望書

 団交の報告のつづきです。

 前回のまとめで書いたように、1回目の団交のさいごに、理事全員に宛ててSocoSocoから要望書を出しました。簡単にいえば団交で伝えた内容を文書にしたものです。
 その要点は、

  1. 日リテのチューターの仕事は大変で、「冷蔵庫のトマトが古くなったので八百屋で新しいものを買ってくるというふうに、簡単に取り替えがきくようなしごとではない」(要望書より)から、そのひきつぎは日常の仕事にくわえて大変であり、3年で雇い止めになっていくのは非効率的であること
  2. 精華には「人間を尊重し、人間を大切にする」という建学の理念がありながら、くびにならない専任の教員たちと同じように学生と深くかかわりかつ自分自身にも生活がある人を、3年経ったという理由だけでくびにするのは、ほかにどのような利点や配慮を説明されたとしても納得できないこと

 だから、(前回の団交報告でも書いたように)

  • 今年任期の切れる日リテチューターのふたりを辞めさせないでほしい
  • 労使間に合意がある程度できるまで新規の募集というのは止めてほしい

 ということを要望として提出しました。
 「続きを読む」以下に、この要望書の本文を掲載しました。やはりどういうやりとりをしているのかは紹介しておきたいところです。ということで理事からの回答書も、いまのところ本文をすべて掲載するつもりでいます。
 
2009年12月22日

(ここに、宛名:理事6名の名前と、差出人:SocoSoco執行委員長の名前)

日本語リテラシー嘱託助手の3年雇い止め廃止を求める要望書


1.日本語リテラシー教育部門における嘱託助手(チューター)*1 の重要性について

 日本語リテラシー教育部門は、「『読む』『書く』『考える』力を、大学の学びに役立つレベルに高める、精華ならではのプログラム」と大学のホームページでも紹介されているように、人文学部一回生への導入教育のひとつの柱として位置づけられています。また、大学基準協会による『大学基準適合認定証』(平成20年度)でも、「『日本語リテラシー』が、徹底した文章指導のもとで文章作成をさせる導入教育として〜特色GPで採択されるなど大きな効果を上げている」と、人文学部の長所のひとつとして評価されています。

 そのような重要なセクションであるにもかかわらず、現在日本語リテラシー教育部門にはひとりの専任教員もいません。嘱託講師4名とチューター8名という、任期つきの不安定なステータスを持った教員たちでチームを組んで、コースカリキュラムから部門自体の運営まですべてを担っています。

 簡単に「日本語リテラシー」という授業の運営方法を説明すると、人文学部の約300名の一回生を4クラスに分け、1クラスに講師1名+チューター2名という体制で、週2回(講義、実習)の授業を通年で行っています。1セメスターは3週をひとまとまりとした5クール制で、それぞれのクールごとに「記憶に残っていること」、「場所・場」等のテーマに沿って、学生は最低5本の課題作文を書くことになります。仮に3名のチームで90名のクラスを受け持っているとすると、教員ひとりあたり1セメスターで最低でも120名分*2の学生の添削をすることになります。それに加え、チューターは、出欠や成績の管理、欠席学生への連絡、補講、面談といった授業に関連する業務と、蔵書の整理や貸し出し、会計、備品の管理、報告書の編集など多くのしごとを担っています。

 授業の内容に関していうなら、「日本語リテラシー」は、単に一回生に日本語の読み書きを教えるというだけの授業ではありません。教員たちは直接一回生と向き合って(比喩的な表現ではなく、実際に面談などを通して密接に対話を重ねます)、丁寧に学生の関心と大学での学びをつないでいきます。だいたい前期の終わりまでには、講師もチューターもクラスの学生全員の顔を覚え、どんなに少なくとも一回はきちんと学生と話をします。ここで強調しておきたいことは、「日本語リテラシー」のチューターには、作文の添削や指導などの文章能力だけではなく、入学してすぐの、まだ決して精神的にも安定しているとはいえない一回生の話をきちんと聞くことのできる高度なコミュニケーション能力と、それぞれの学生のやりたいことを観察しながら言葉をかけていくための細やかな感性が必要とされるということです。つまり、冷蔵庫のトマトが古くなったので八百屋で新しいものを買ってくるというふうに、簡単に取り替えがきくようなしごとではないのです。

 しかし、このままいくと2009年度末でふたりのチューターが任期切れをむかえ、日本語リテラシー教育部門を離れることを余儀なくされます。そのことは、まず経験を持ったスタッフの流出という意味で、部門にとっておおきなダメージなります。また、職場から離れざるを得ないチューターにとっては、これまで働いて身に着けた経験や専門的な知識の大部分が無駄になってしまいます(同様の職がなく、大学で教育に携わるための資格が精華で習得できるわけでもないので)。あとに残るチューターにとっても、雇い止めになった同僚が担っていたしごとを新人たちに伝えることが、来年度の大きな負担になります。更に付け加えると、来年度に残る予定のチューター5名中4名も2010年度末で任期が切れます。そのあとに新たに4名雇用されたとすると、1年の経験しかないチューターたちが4名の新人を教育するのでしょうか。現在、チューターのしごとの引き継ぎリストは、いま働いているチューターが一人しか残っていないであろう2011年度まですでにできています。しかし、そんなふうに何年先までもしごとの引き継ぎを考えていかなければならないような3年雇い止め制度は、あまりにも非合理的で、日本語リテラシー教育部門の運営上も著しく問題があります。

   
2.雇い止め=人間の「使い捨て」についての道義的問題

 精華大学の創立者である岡本清一氏は「人間を尊重し、人間を大切にする」ということを精華大学の創立の理念にかかげています。その理念は現在の「日本語リテラシー」におけるチューターの状況を考えたときに、どこまで実現されているといえるでしょうか。葉山勉副学長は、12月9日の話し合いの場所で、チューターの任期が3年で変更がないということの理由として、1)大学は研究者、教育者を育てる機関でもあるので、3年は教育キャリアとしてひとつの目安になる、2)助手は相対的に弱い立場にいるので、いつまでも上の人間(教授など)に都合よく使われてしまう恐れがあるので、3年という区切りをもうけて未然にふせぐ、ということをあげています。しかし、そのことは日本語リテラシー教育部門のチューターの業務内容や状況を把握していないだけではなく、まるで3年の任期がチューターのためであるかのように説明しているという点で欺瞞的です。そう考える理由を間単に説明します。

 まず確認しておきたいのは「日本語リテラシー」のチューターは研究職ではなく、そもそも研究をすることを期待もされていない、ということです。それは実際の業務の内容にしてもそうですが(そもそも忙しすぎるので研究の時間もありませんが)、チューターの採用規定を他の学部と比較してみても、チューターのポジションがはっきりします。たとえば、芸デマにおける助手の採用規定第5条(3)には「大学院修士課程修了者もしくはそれと同等以上の技量を有すると認められる者」という基準が設定されているのに対して、共通教育センターの助手の採用規定第5条には、その項目だけがありません。つまり、「日本語リテラシー」のチューターというしごとは、研究者を志すひとの最初のキャリアとしてデザインされているわけではまったくないのです。専門的な知識や研究者として将来性が求められているわけではなく、ここでは、まず学生に距離が近いということが重視されているように思えます。そういった意味で1)大学は研究者、教育者を育てる機関でもある、ということをチューターの任期が3年であることの説明として用いるのははっきりいって的外れです。わたしたちは教育者になるための投資を大学から受けているわけでもなく、育てられることを望んでチューターになったのでもありません。精華大学でも就職課にいけば、求人をしている企業のリストがあるように、そのなかのひとつである学校法人京都精華大学日本語リテラシー教育部門に就職したのです。

 2)助手は相対的に弱い立場にいるので、いつまでも上の人間(教授など)に都合よく使われてしまう恐れがある、という理由についてはどうでしょうか。その理由付けも、旧来の徒弟制度的な教授と助手の関係を前提しているという点で、「日本語リテラシー」にはあてはまりません。前述のように日本語リテラシー教育部門では、嘱託講師とチューターでチームを組んでしごとを行っていますが、基本的にはその組み合わせは毎年入れ替わります。チューターは講師の専門領域に関心を持ってその講師とチームを組むのではなく、講師はだれであれ、その講義のアシスタントをします。むしろチューターのしごとの中心は、そういった補助的なものよりも、作文の添削指導や、学生との面談など、学生ひとりひとりと直接むきあうところにあり、そこでは成績をつける権限がないことを除いて、講師とチューターの立場はあまりかわりません。その意味では、上の人間に使われる危険性よりも、つねに去ることを考えながらしごとをしなければいけないという状況のほうが、日本語リテラシー教育部門の継続性を考えたときにもあきらかに大きなマイナスです。また常にやめることを考えながら働くことは、チューターにとって大きな負担になります(添削や面談の合間をぬって、就職活動をしなければなりません)。
  
 創立40周年の際に、現理事長の赤坂博氏は「人間味あふれる大学社会を創造し、学生のための本当の教育を行う。またそのことをもって社会に貢献し続ける」と発言されています。しかし、その「人間味あふれる大学社会」を実現するためには、まず最初に大学のなかで不安定な状況で雇用されている、教職員たちの労働状況を改善していく必要があります。任期つきで雇われているということは、精華大学に継続的にかかわることを拒絶されていることと同じです。専任のひとたちと同じ大学にいて、同じ学生たちと接しているのに、精華の未来を想起することから疎外され、将来この場にいることを期待されてもいない教職員が数多くいるという現状を少しずつでもかえていくことが、長い目で見れば、「人間を尊重し、人間を大切にする」という大学創立の理念を実現していくことになるのではないかと思います。
    

 大きくはいまあげたふたつの理由から、日本語リテラシー教育部門の嘱託助手の3年雇い止めの廃止を、ここに強く要望します。また、来年度の日本語リテラシー教育部門の体制について労使間で合意が形成されるまでは、希望退職による欠員の募集をのぞいて、同部門嘱託助手の新規募集を行わないことを強く求めます。嘱託も、専任も、非常勤も、派遣も、学生アルバイトも精華大学にかかわるすべてのひとが、身分の差別なく、自分たちの今後の生活と同時に、大学の未来を思い描けるような、継続的に働くことのできる大学になることをわたしたちは夢みています。

*1:以後チューターで表記を統一する。

*2:30人×4回。最終クールの添削はない。