不当労働行為の救済申し立て
1週間まえ、京都は三大祭のひとつ、祇園祭の宵々山でした。
この日、SocoSocoは京都府労働委員会に行って
これまでの京都精華大学理事会の対応について
「不当労働行為*1」ではないのかと、救済申し立てをしてきました。
1.雇い止めになりそうだった組合員のふたりが、当時していた仕事に再応募したときに、不採用にしたこと
2.理事会がSocoSocoとの団体交渉を拒否していること
3.団体交渉中に、専務理事が言っていることを二転三転させたり、引き受けた調査をロクにやらずに報告したりしたこと
4.団体交渉の開催を盾にとって、理事会がSocoSocoにいろいろ強要してきていること
5.これらのことで、組合員ふたりが結局3月末で雇い止めになるのを待って、組合活動の弱体化を狙ったこと
の5つが不当労働行為に当たる、というのがおもなSocoSocoの主張です。
救済申し立ての書類を出すときに
いろんなひとに見てもらいましたが
これまでの経過が長くて込み入っているのでわかりにくいようです。
すこし説明しておきます。
1.について
嘱託教職員が、いましている仕事の契約が切れたために空いたポストに再応募することは、2010年の1月26日にSocoSocoが理事会に確認して、可能であることはわかっています。
組合員ふたりは日リテチューターの仕事を続けたかったので再応募しましたが、在職者なのになぜか一次選考の書類審査で不採用に。在職しているひとに「いまの仕事不適格です」と言うのってなんか不自然。しかも不採用通知は12月に届くから、3月までの仕事へのモチベーションも当然さがる。
こんなリスクを冒してまでいっしょに授業をやってきたチューターに戦力外通告をするのって、やっぱりふたりが組合活動やってきたせいなんじゃないの?
組合活動をしていることを理由にしてそのひとをいじめることは、「不利益取扱い」という不当労働行為になります。
2.について
言わずもがなですが、雇っているがわ(理事会)が、雇われているがわ(SocoSoco)からの団体交渉の申込を断ることはできません。「団体交渉拒否」はそれ自体が不当労働行為です。
「なにか理由があるんじゃないの」って言うひと、その理由については団体交渉で話しあうべきでしょ。対話の拒否を権力を持っている雇用者がやるなんて。自由自治を謳う大学でしょ?
3.について
いまの専務理事は、団交中に「やる」と言ったことを次の団交で「やっぱりやらない」などと言いだすことが、本当に多いです。近代化教育を引き受ける大学で、そんなことが罷り通ると思い込んでいるひとを理事にしていていいのでしょうか。団体交渉の話し相手としても、不適格だと思います。団体交渉を真面目にやらないことも、それ自体「不誠実団交」という不当労働行為です。
いっしょに働いている職員のみなさんの心中をお察しします。そういう態度を許せるひとは、それを「慣れ合い」というのだと覚えておいたほうがいいです。
4.について
4月6日付で、理事会は「団体交渉を開催するために」といってSocoSocoにいろんなことをするように要求してきています。
団体交渉は組合にとっては、雇用者と対等な立場で話し合いのできる重要な場です。でもそれを開くためにという理由で雇用者がグダグダと条件をつけるのなら、たとえ話し合いの場では対等さを確保できても、しょせん絵に描いた餅になってしまう。本当に対等であることを保障するのなら、団体交渉を開催することを盾にとって組合活動を制限するようなことを組合に強要するなんて認めてはいけない。
組合の結成や運営に介入するようなことは、「支配介入」と言ってやっぱり不当労働行為です。
5.について
具体的にSocoSocoが理事会にされてきた不当労働行為は、1〜4までですが、いちばん卑怯なのは、結局そうやって話しあいを引き延ばしていれば、組合員のふたりが3月末に雇い止めになり、そのうちに声を上げるひとがいなくなるのを、専務理事が「わかってやっていたこと」です。
これも、組合の弱体化を意図した「支配介入」だとして、救済を申し立てました。
「いずれあいつらは雇い止めになるから逃げ切ればいい」という雇用者のセコい打算は、組合活動が相応に保障されて受け止められる素地の形成を、大きく阻害するんじゃないでしょうか。
しかも、「有期雇用だからまともに雇用者と話しあうなんて時間のムダ」ともしこちらが思ってしまえば、組合ができるのを未然に終わらせるという最悪の形で、組合活動の弱体化を助長し、働くひとの権利を主張する制度が骨抜きにされてしまうのです。
有期雇用って本当に労働者の口をふさぐのによくできている。
雇用者にしてみれば、ただひたすら働くひとの声を黙殺すれば
いずれそのひとがいなくなるんだから本当に好都合だ。
話をしてほしいと問い詰めることが暴力的だと言うひとは
話を黙殺し続けることは暴力ではないとでも言うのだろうか。
3月30日に、SocoSocoを支援してくれるひとたちが
専務理事のところへ問い詰めに行ったことを
「暴力的だからやめてください」と抗議したあの部屋のあの職員のひとたちにも、
話を無視しつづけることがまずもって圧倒的な暴力なんだと、
いずれわかってくれる日が訪れたらなと思う。
できれば、その人たちがそういう暴力に黙殺されていく形でなければいいのだけれど。