気持ち

ちょうど団交の翌朝、精華大学のホームページに
日本語リテラシーの求人がアップされていました。
つまり交渉をするまえからはなしあいでなにかをかえていくつもりはまったくなく
「予定通り」同僚の雇い止めが宣告されたわけです。
なんかPCの画面をみながら、こういう決定をするひとたちは
結局同じ大学にいても非正規労働者を、話し相手とも、生活をしている人間ともみていないんだなあと
憤りをわずかながっかり感とともに覚えます。
専任でついでに役員手当てをもらっている経営者たちと、春からの生活もおぼつかないわたし(たち)。
「人間を尊重し大切にする」という建学の理念からははるか遠くにきてしまったのだなあとつくづく思います。
(役員手当てはさいきんできました)。


そもそも、しごとができて学生にもしたわれている同僚がなんで雇い止めされなければいけないの、という
素朴な思いから理事との話し合いとか署名とか豚汁くばりとかいろいろやったわけですが、


「共通教育センター日本語リテラシー教育部門助手を募集します」


というまったく無機質な画面の文字を見ていると、
あらためて、人間的ではないものたちと向き合うためには
できるだけ、悲しさとか、なんか納得できないとか、腹がたつとか、そういった気持ちの部分を
大事にしないといけないなと思います。


労働者の使い捨てがあふれかえっている日常で、
感情があるともみなされていない、
お金も権力も自信もほとんどないわたし(たち)が、
よりどころにできるのは、憤りや同僚に対する共感といった、
ありふれてはいるけれど、なかなか言葉にすることがむずかしかった
「人間的」な感情の部分なのだから。